皆さんこんにちは、リンアルです。最近はBSでも放送されている「三国志 Secret of three kingdoms 」、皆さんはご覧になったでしょうか?近年は、若者にも大人気となった、ケニー.リンと韓国のユナ主演「三国志 趙雲伝」、また、演技派スター勢揃いの、大人テイストの「三国志 司馬懿 軍師同盟」など、三国志をテーマにしたドラマはますます熱を帯びてきています🎵
そして今回の、「三国志 Secret of three kingdoms 」は、若手俳優が多く主演していながら、テーマとして「平和」を取り上げている、というのが特色❗主人公に、これまで「三国志」の脇役だった献帝(けんてい)を双子の兄弟にしたのが、動乱の国の全体を俯瞰する新たなポイントです。
ところで、献帝とは、いったいどんな人物だったのか?を少し見てみます。
その1、生まれは…
献帝、本名は劉協(りゅうきょう)は、後漢(中国で二番目の統一王朝)の末期、霊帝(れいてい)の二番目の息子として生まれました。母親は霊帝(れいてい)の妃の一人、王美人(おうびじん)です。
ドラマのように双子だった、という史実は見当たりません。しかし、後漢の特徴は、皇帝が幼い子供、または若い人間であることが非常に多い時代でした。さらに、直系(親からその子供に直接つながる血筋)で皇位を伝えることが少なく、傍系(つまり、いとこ、叔父、はとこ、等々…)が跡継ぎになることも多かったのです。その理由とは…
後宮の争いから、国の弱体化へ
各代の皇帝は跡継ぎをもうけるため、多くの妃を迎えました。妃たちはお互いの皇子たちを跡継ぎから外そうとするため、後漢では皇子の死亡率が高かったのです。そしてなぜか、皇帝が若くして亡くなることも後漢では多く、安定した政治が行われにくかった原因の一つと言われています。自然に、若い皇帝の息子は幼いままに皇帝に即位するので、皇帝の母親の実家(外戚と言います)や、身近で世話をする宦官(かんがん)に権力が集中しました。また、皇帝が子を残さずに亡くなると、傍系から血の繋がった人間を見つけて跡継ぎにしたので、そのたびに皇帝の側近もころころ変わるわけです。長期的な政策がたてにくい環境ですよね。実際に、献帝の父親、霊帝(れいてい)も、三十代の若さで死んでいます。
子供を民間に託して…
あまりに皇室の子供の死亡率が高いために、後漢の妃たちは、生んだ子供を宮廷で育てず、ひそかに民間で育てさせた史実もあります。ドラマで、献帝(マー.ティエンユー)の双子の片方は、司馬懿(しばい)の家で育ちますが、実際に双子であったなら、大いにあり得たことです。古代、双子は跡継ぎ争いを招くとして嫌われました。
兄の弘農王(こうのうおう)とは誰?
ドラマと同様、献帝には、兄の劉弁(りゅうべん)皇子(後の少帝)がいました。この兄の母親、何皇后(かこうごう)が、まだ献帝が幼いときに、献帝の母親の王美人を死なせたとされています。しかし、父親の霊帝(れいてい)は、二人の息子の中で弟の劉協(りゅうきょう、献帝)を可愛がり、跡継ぎにすると遺言します。それでも、兄でもあり、何皇后(かこうごう)の強い実家の力もあり、結局は劉弁(りゅうべん)皇子が先に即位します。短い命の少帝(しょうてい)です。
肉親の死と、苦悩の皇帝の始まり
しかし、その後に、有名な悪役、董卓(とうたく)によって少帝は廃位させられ、弘農王(こうのうおう)に格下げされて、まだ14才の若さで殺されます。そして董卓(とうたく)は、それこそまだ9才の劉協(りゅうきょう)皇子を聡明だと褒めそやして皇位につけました。これが、ドラマの主人公、献帝(マー.ティエンユー)のモデルです。
そして、乱世でおよそ皇帝とは思えぬ苦労もしたあと、即位から七年後の16才の時、曹操(そうそう)に許都(きょと)に迎えられるのです。
しかし、これもまた、新たな苦悩の始まりでした…
いかがでしたか?次回は、ドラマでの勇敢な女性の一人、献帝(マー.ティエンユー)の妻である伏寿(ふくじゅ)を取り上げます❗お楽しみに❗
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