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2019年12月24日火曜日

「扶揺」二次小説 情未央(じょうびおう)14

(画像出典https://images.app.goo.gl/eb957wBqSta6fS6b6 )
その為、実家の相続は難航した。財産と呼べるものは特になかったものの、土地の権利や屋敷の所有は、他家に嫁いだ娘たちに管理が難しいことから、遠縁の男性に渡る事になった。この話し合いは長引き、漸く話がまとまりかけたのは私が十二になった春のことだった。
だが、彩花夫人は実家が他人の手に渡る事に耐えられなかった。とうとう、覚悟を固めた夫人は相続の権利を主張し、宇文府を出て実家に戻る事にした。当然、外聞を気にかける宇文氏一族はこぞって別居に反対したが、夫人が考えを変える事はなかった。
本来、夫人は娘の私を共につれてゆくつもりだった。けれど宇文怜は生まれ育った宇文府を離れるのを泣いて嫌がり、夫人も娘の先々を考えて離縁はせず、別居という形で実家に戻り、府中の十年以上彼女に仕えてきた者たちに、くれぐれも娘を頼むといいおいて去ったのだとか。それから六年、宇文怜の方から訪ねていく事は有っても、彩花夫人が宇文府に戻る事はめったになかった。
「…その時から、私は夫人にあなた様を託されてお側におりました。お嬢様はその時まだ十二になったばかりで、お母上の見送りには涙も見せませんでしたが、部屋に戻られて隠れて泣いておられたものです。けれど、その後、お嬢様は決して私共の前では…いえ、他人の前では泣かれる事をなさいませんでした」凝珠は痛ましげに、彼女の方が泣きそうに呟いた。
屋敷に残った宇文怜を、当主は勿論、琅香夫人も決して粗略には扱わなかった。けれど本当の母親がわりになるには、宇文怜は物心がつきすぎていた。元々体が弱いせいか他人の感情の機微に敏く、兄妹と仲良く遊び回るのも好きだったが、幼い頃から書物によく親しみ、どうかすると武官を目指す兄より古今に通じていると父親に誉められた程だった。
更に、早くに母親と離れたせいで、常に立場が不安定な事を自覚していた。琅香夫人は継子苛めなどは考えなかったが、実の子を優先するのが人情の常だし、宇文怜は宇文怜で妹を可愛がり、張り合おうなどとは思わなかった。その内にいつか、自分から一歩下がった位置に甘んじるようになったのだとか。
拍車をかけたのは、世間の目も大きかった。離縁したわけでなくとも、「母親に見捨てられた子」という見方はしばらく根強く、同世代の針や芸事の集まりでは心ない当てこすりを言われることも多く、よく強張った顔で帰って来ていたという。親族の集まりでさえその声は皆無ではなかった。

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