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2019年12月21日土曜日

「扶揺」二次小説 情未央(じょうびおう)13

(画像出典https://images.app.goo.gl/D1Qs6ehn6quLoxdM8 )
ところが一年半が過ぎた頃、元は健康だった私は原因不明の発作を起こすようになり、呼べる限りの名医を招いても理由が分からなかった。幾度も生死の境をさ迷う私に、彩花夫人は藁にもすがる想いで高名な道士や巫術士に帰依し、私を救おうとしたが、病状は悪化もしなかったものの、完治もせず、そのまま八年が過ぎた。
この間、琅香夫人は私より四つ年下の妹、宇文紫を生み、屋敷には賑やかな幼子の声が絶えなかった。
琅香夫人は泉都でも裕福な商家の出で、人当たりが良く気配りの細やかな彼女は老夫人にも気に入られた。精力的な人らしく、屋敷の差配も最初は老夫人と彩花夫人が担っていたものを、老夫人が年齢を重ね、彩花夫人が私の看病を侍女任せにしなかったので、次第に琅香夫人が切り盛りするようになった。
同時に下人たちも活気有る琅香夫人の方へと注意を傾けるようになり、彩花夫人は段々と表に出ることも少なくなった。
それでも、彩花夫人の地位は揺らぐものではなかった。訪れが減ったとはいえ、当主は変わらず彼女を尊重していたし、娘の私の為に薬石から大夫、道士の祈祷から読み書きの先生に至るまで、出来ることは惜しまなかった。その甲斐あってか、私は八歳の頃には、体は弱かったもののなんとか普通の生活が送れるようになっていた。
琅香夫人も性格はさばけた人だったらしく、彩花夫人との仲は親密とまで言わずとも険悪ではなかったとか。お互い年の近い子を持った為に、世間一般の鞘当てなどに気を回す余裕がなかったのが幸運だったのだろう。
そのままなら、彩花夫人が宇文府を出る理由など無いように見えた。だが、私の母だという彼女は、穏和だが誇り高い所が有ったようで、口数が少ないが物をはっきり突き詰める人だった。それ故に前々から屋敷を取り仕切る老夫人とは贔屓目に言っても疎遠で、琅香夫人がやって来ても下手に馴れ合うことをしなかったのだとか。子供の私が大きくなるに連れて、二人の兄妹と無邪気に遊び回り、華やかな琅香夫人の院に出入りするにつけ、彩花夫人の孤独は増していった。父親の当主は昼間出仕して夜戻り、そもそも子育ては夫人たちに任せきりで、複雑な人間関係を気にかける人ではなかった。
そんな折、彩花夫人の父親が亡くなった。旧家の血をひく実家は、本家では今なお官吏を出していたが、彩花夫人の父親は次男だった為に分家を構え、官職にも就かなかった。子供も娘が三人だけで跡継ぎはおらず、長女の彩花夫人をはじめ二人の妹も皆他家に嫁ぎ、婿養子を取ることもなかったのだ。

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